夏月とハルキは、先日の敵兵の襲撃に反省し、建物の残骸の多いところを選んで、辺りを見てまわっていた。食料や衣服など、生活に必要な思わぬ「掘り出し物」が見つかるかもしれないのだ。
「ここはなんという所なんだ?」
 辺りには目もくれず、ただ夏月の後をついて歩いていたハルキが、初めて夏月に問いかけた。
「ここは埼玉県のはじっこ。首都はもうすぐそこよ」
 数日共に過ごすうちに、夏月とハルキはだいぶ打ち解けられるようになった。
 ハルキは記憶がないゆえ、彼女から何か語ることは少なかったが、夏月は自分のことをたくさん話した。ハルキが知りたがってくれたからだ。
 姉とハルキがそっくりだということ。その姉は一年前に亡くなったこと。戦争が始まったときのこと。始まる前の平和だった頃のこと。始まってからどういう生活をしてきたか・・・。
ハルキはとても賢い少女だった。多くの知識をその場で吸収し、不自由な生活にあっという間に慣れた。
何度か、兵隊の襲撃を受けた時、ハルキは集めていた武器を使い、例の優れた運動能力を発揮して、体を張って守ってくれた。夏月だけでなく、他の十数人の仲間たちもだ。
ハルキは相変わらず無愛想だったが、夏月にはとても優しかった。
ハルキといると、姉がいた頃を思い出して、涙が出るほど幸せだった。
「ほら、見えてきた。あの川を越えると、東京よ」
 遠くで、ごうごうと水の流れる激しい音がする。そしてさらにその向こうには、大きな壁があった。
 灰色に汚れた、巨大なドームだった。
 このドームは、東京都全体を囲っているのである。
 "最後の聖域"である。
 ドームで囲った目的はもちろん、日本の心臓を守るためである。
 東京の有力者たちは、このドームを建設することを決めた時、他の地域を切り捨てたのである。
 それほどに、日本の社会は追いつめられていた。
 世界の多くの国に背を向けられた日本は、孤立した。そして今日本は、建て前は、米国の手足となって戦っているのだった。
 東京は最初、避難民の流入を受け入れていたが、あっという間にパンク寸前になり、それからはドーム外の人間を受け入れなくなった。それでもどこかに救いの手があるのではないかと日本各地から避難民が集まり、ドームの周りは他の地域に比べて人が多かった。
「この中で、権力者たちは安全に生活し、科学者たちは新しい兵器を発明している。――兵士となる、クローンもね」
 夏月が言葉を切った途端、ドサッと、夏月の背後で物音がした。
「――ハルキ!?」
 急にハルキは、右手首をおさえてその場に膝をついてしまったのだ。
 夏月はハルキに駆け寄った。ハルキは眉を吊り上げ、目を大きく見開いて苦しそうに呼吸をくり返している。今までハルキに、こんなことが起こったことはなかった。
「ハルキ苦しいの!? しっかり・・・」
 夏月は、そこで言葉を飲み込んだ。
 とっさにつかんだハルキの右手首に――――烙印。
【HA01】
 焼きごてで熱によって刻まれた手首の焼き印――それは、クローンの証。
「ハルキあなた――――――――!?」
 ハルキは額を押さえ、きつくまぶたを閉じてあえいだ。激しくかぶりを振って何かを振り払うような仕草をくり返す。
「ハルキ!? しっかりして――!」
 夏月がハルキの肩をつかんで揺さぶると、ハルキは唐突に目を見開いた。
「――大丈夫――?」
 複雑な思いで夏月は問いかけた。少しずつハルキの肩から力が抜けて呼吸が落ち着いてくるのと同時に、夏月は何か恐ろしいものが迫ってきているのを感じていた。
「思い出した」
 突然のハルキの言葉に、夏月はビクッと体を震わせる。
「思い出したって、何を――――」
 ごうごうと、遠かったはずの音が耳鳴りのように、こだまして聞こえる。夏月はこの時初めて、川の音を恐ろしいと感じた。
 ハルキは、どこかおびえたような瞳で、夏月を見つめた。
「私の本当の名前は――HA01」
 ハルキは、手首の烙印に書かれているアルファベットと数字の羅列をそのまま口にした。
「私は・・・夏月の姉、春月の、・・・・・・クローンだ」
 信じられない、けれどどこかでそうではないかと思っていた真実に、夏月はしばらくの間言葉をなくした。
 姉に似ている・・・というよりはむしろ姉そのものにしか見えないハルキ。
 本人でないのならばもしかして・・・と、思ってはいた。
 そしてまるで兵士となるべく鍛えられたかのようなあのずば抜けた戦闘能力。
 戦力に、研究の進んでいたクローンを使うようになったのは、徴兵制により男子を集め戦わせるうちに兵力が不足したからだ。現在、少なくとも日本の兵士で、クローン・・・<Nランでない者はいない。
 だから、あんなに戦うことに慣れたハルキが――ただの避難民であるはずがないとは思っていたけれど。
 まさかの予想が、的中してしまうとは。
 ハルキが姉のクローンだと知って、夏月は動揺を隠しきれなかった。
「なぜ・・・」
 疑問がありすぎて、何から聞こうか戸惑った。ひどく頭が混乱して、眩暈がする。けれど、最も気になることから、聞くことにした。
「なぜ、お姉ちゃんのクローンが・・・・・・?」
「――春月が兵士に撃たれ、夏月がその場を去った後、ある兵士が春月の遺体を東京に連れて帰った。容姿が非常に美しいからという理由で」
  クローンにするために」
「・・・女の人も兵士にするの?」
「いや・・・ちょうど一年前、ある計画が検討されていた。それは、より優れたクランを生み出し、敵国の首脳を暗殺するというものだった。今ではどの国もガードが固くて、普通の人間や波のクランでは暗殺は容易ではない。――だから、より優れた能力を持つクランを研究するための実験体として――春月の遺伝子が使われたんだ。首脳の男を暗殺するのには、まだ例のない女性クローンの方がやりやすい」
 実験体という言葉に、夏月は怒りを感じた。弱い国民は、死んでからも安らかに眠れぬというのか。
「お姉ちゃんのクローン・・・だからHA01なの」
 HARUKIの「HA」。そして、一人目のクランだから、「01」。
 すでにほとんどの兵士がクローン人間であることは知っていたが、今まで考えたこともなかった。彼らが、実はすでに亡い人の生きていた姿なのだとは。
 ではもしかしたら、今頃敵国で銃を持って戦っているクランたちの中に、知っている顔があるかもしれないというのだろうか。
 そう考えると、言いようのない恐怖が、絶望が、怒りがこみ上げた。
 私たち国民は国の始めた争いのために命を落とし、その争いのために甦らせれるというのか。
 クローンは実際は遺伝子を共有しているだけの別人だが、周りの人から見れば、痛みと共に失ったはずの人が生き返ったのと変わらない。
 勝手すぎる話だ。これが今のこの国の現状だというのか。
 おぞましさに寒気がした。凄まじい戦慄を覚えた。
 今にも爆発しそうな怒りを、夏月は必死でこらえた。
 そんな彼女をハルキは黙って見つめていたが、ふと、小さな声で言葉をもらした。
「すまない」
 唐突な謝罪の言葉に、夏月はようやく息のつまるような葛藤から開放された。
「・・・何が? ハルキ」
 ハルキは、申し訳なさそうに目を軽く伏せてうつむいた。
「――クランは、兵士なんていうけれど、所詮は人殺しのために生み出された生き物だ。私たちは、戦い方しか学ばなかった。――だから、人間なら当たり前に持つような感情を持てないんだ・・・。夏月たちと一緒にいて、少しは分かるようになったけれど・・・。夏月が私の話を聞いて、夏月の姉を実験体にされたことを怒っているのは分かる。悲しいのも理解できる。けれど・・・こんな時、どうやって接したらいいの分からないんだ。――すまない」
 思いがけないことを申し訳なく感じていたらしいハルキは、しょんぼりと肩を落とした。夏月はこの時初めて、ハルキをかわいいと思った。
 ハルキは、クランとして生まれたばかりなのだろう。まだ一年と生きていない彼女は、まるで子供のようだった。
「そんなこと、気にしてたの? それなら、謝るのは私の方だわ。あなたに気をつかわせちゃった」
 困ったように笑って見せる夏月に、ハルキが複雑そうな顔をする。なぜ、逆に夏月に謝られるのか、分からないのだろう。
 ハルキの意外な一面を見つけて夏月は嬉しく思い、少し心を落ち着かせることができた。
「ハルキはなんで、記憶を失くしてなのかな・・・」
「私は――あの桜の木の下に来た日の前日、近くの空き地に、課外訓練に来ていたんだ」
「課外訓練?」
耳慣れない言葉だった。
「"兵士"を育てるための授業みたいなものだ。普段は、研究所の近くの専用の施設でやっていたんだけど、外に出てみなきゃ分からないこともあるから・・・。それで、なぜだかよく分からないんだけれど、私は他のクランや、指導者とはぐれてしまったんだ。全く知らない土地だから、適当に歩き回っていた。そしたら  あの丘を登ったところで、夏月を見つけた。私はそこで、すべての記憶を失った。名前も、自分が何者であるのかも」
「・・・なぜ」
「夏月と再会したからだ」
 その意味を、夏月はとっさには飲み込めなかった。
「・・・再会・・・?」
「もしかしたら、私の中の、夏月の姉の遺伝子が、夏月を覚えていたのかもしれない。夏月を見て、『やっと逢えた』・・・と、そう思ったんだ。もちろん私は、夏月の姉の記憶は持っていない。けれど頭で考えるのではなく、心が動くことがある」
「心・・・」
「そう。・・・『夏月を守らなきゃ』って」
 ジワッと視界が滲んで、夏月はのどもとに熱いものが突き上げるような感覚を覚えた。
 ハルキが初めて、やわらかく自然に微笑んだ。
 そこには、本当は逢いたくて仕方なかった、姉がいた。
「おねえ・・・ちゃん・・・」
「夏月に逢って、私は記憶を失くしてしまった。私の中の、本物の春月が、妹の姿に反応したんだ。頭が真っ白になって、気が付いたら目の前に夏月が立ってて、『お姉ちゃん』って呼んでくれた。その時私はなぜか、ものすごく幸せな気持ちになったんだ」
 姉と同じに微笑むハルキを目に焼き付けたいと、夏月は必死で涙をぬぐった。けれど涙は溢れて溢れて止まらない。
 ハルキは、そんな夏月の右手をそっとつかんだ。
「夏月。私は夏月に逢えてよかった。夏月の姉のクローンとして言ってるんじゃない。私という一つの命は、夏月に逢えたことを、嬉しく思う」
 ハルキの言葉が夏月もまた、嬉しかった。けれど、ハルキのどこか寂しそうな笑顔に、形容しがたい不安を感じた。
「ハルキ――――?」
「夏月、私はもう・・・帰らなきゃ」
 胸に突き刺さるような言葉に、夏月は冷静ではいられなかった。
「か、帰るって、どこに――?」
 ハルキは、意を決するような表情で、川の向こうの巨大なドームを指差した。
「私は国の駒となるためにつくられた。研究所に帰らなければならない」
「そんなっ。いいじゃない帰らなくたって! だって戦争に行ったら、死んじゃうかもしれないのに――――!」
「夏月――私たちがここに着いて、夏月がクローンという言葉を口にしたその時に、私は自分がクローンであることを思い出してしまった。――いや、もしかしたら、私が生まれたこのドームに近付いたからかもしれないが・・・」
「それがどうしたの――?」
「もし、何も思い出さないままだったら、私は夏月と、他の避難民たちと一緒に、暮らしていたかもしれない。それはそれでよかったと思う。だけど、思い出してしまった今は、もうここにいるわけには行かない。だって私は――戦うために生まれてきたんだ」
「こんな意味のない戦争に行くことないわっ。ハルキまで争いの犠牲者になるのはいやっ!」
 泣き叫んでひき止めようとする夏月を、ハルキは両腕でそっと包み込んだ。
「安心して。私は死なない」
「うそっ! 気休めだわ!」
「夏月聞いて。兵士として使われるクランは、国のために戦って死ぬのは名誉だと教え込まれてきた。だからクランたちには、死に対する恐怖心がない。――というよりも、"生きたい"という意志がないんだ。だから彼らは、戦闘能力は高いが死ぬ時はあっさり死んでしまう。彼らは本当は守りたいものなんかないんだ。ただ国を守れと洗脳されてしまっているだけ。――私も前はそうだった。ただ命令に従って行動してた。でも今の私には、守りたいものがあるんだ」
 ひっく、としゃくりあげながら、黙って聞いていた夏月の目をしっかりと見つめて、ハルキは力強く言った。
「私は、夏月を守りたい。これは私が生まれて初めて抱いた"意志"だ。だから私は私の意志を貫く。夏月がいるこの国を守る。私には願いがあるから、簡単に死んだりしない。――信じられなくてもいい。でも私の中の春月なら、信じられるだろう? 私は夏月の姉と共に生きてる」
「お姉ちゃん・・・」
「夏月は、生きて。生き抜いて。そして人類に未来があるなら、伝えて。二度とこんな悲しい争いをくり返さないように。すべての人が幸福に、豊かに生きていけるように」
 それは、世界を汚した者の最後の使命。責任。
 ハルキは、きっと由妃の話を思い出しているのだろう。
「ハルキ――ハルキも一緒に――!」
 一緒に行こう、と夏月が言おうとした時、近くで銃声が響いた。
「!」
 ハルキはすばやく反応し、夏月の手を引いて近くの建物に駆け寄った。
 近くで、兵隊たちの歩く気配がした。それほど遠くない。
「まずいな。これでは見つかる。兵の数は――十、二十・・・いや、もっとか・・・」
 ハルキは、足音を聞いて兵士の数を数えているようだった。研究の重ねられたクローンは、感覚まで超人化しているのだそうだ。
「夏月、ここを動かないで。私がおとりになって兵を引きつけるから、奴らが行ったらみんなのところに帰りなさい。いい?」
 ハルキの有無を言わせない響きの言葉に、それでも夏月は叫んだ。
「ハルキ、また逢える!? 戦争が終わったら――逢えるよね!?」
 ハルキはここで別れるつもりなのだと察した夏月は、必死で問いつめた。
「ああ、きっと」
「ハルキ私ね、ハルキに逢った時、お姉ちゃんが帰ってきてくれたみたいで、嬉しかった。でもお姉ちゃんではないことをはっきり感じた時、すごく悲しかった。だけどもうハルキが誰でもかまわない。ハルキはまるでお姉ちゃんみたいに優しかった。ハルキは私の友達よ。逢えなくなっても、大好きよ」
 これが最後の会話になるかもしれないと、夏月は一息に自分の思いを語る。
 兵士の足音がぐんぐん迫ってくる。もう一刻も有余はなかった。
「私もだ夏月。夏月が、ただの使い捨ての駒だった私に生きる意味を与えてくれた。――――ありがとう」
 ハルキはそう言うと、建物の影から立ち上がった。
「ハルキも、無事でね――!」
 ハルキの前方に、敵は迫ってきていた。最後に、ハルキは横目に夏月を見て笑った。
 夏月の姉のハルキとは違う、力強い、美しい笑顔。
 夏月も微笑んだ。涙が溢れて、うまく笑えたか分からないけれど、ハルキには伝わっていた・・・と思う。
 そしてそれが、私たちの最後の記憶となった。
 ハルキは応戦しつつ、兵士たちと共にそこから遠ざかって行った。
 きっとハルキはけが一つ負うことなく勝利をおさめ、・・・あのドームの中に帰って行ったのだろう。



 それから、数年後――――
 国どうしの争いはおさまったかのように見えたが、その時苛烈を極めたのは、各国の首脳どうしの"騙しあい"だった。
 各国が放った暗殺者や諜者により、権力者たちの死が相次いだ。
 死因は、射殺から刺殺――毒殺に至るまで、あらゆる暗殺法が用いられていた。
 先手の先手を打ち、恨みを買う覚えのある者たちは疑心暗鬼になって、殺される前に危険人物を消し去るのに必死だった。
 そうして――世界は、支配者――もとい、指導者を失った。
 暗黒のたちこめた戦禍のもと、なんとか生き延びた者たちが、それを嘆いたかどうかは――"言わずもがな"だ。
 人々はそんなことを気にしている余裕などなかった。ただ毎日の生活の危機をどう乗り越えるか、それが何よりも重要だった。実際、実質的には戦争が終わったことを知らない者も多くいた。
 生き延びた者は、仲間たちと共に、戦火の絶えた荒れ果てた自分の国で、深い傷と絶望を癒しながら、暗黒の時代を必死で生き抜いた。
 堕ちるところまで堕ちた世界ののちの未来は――次世代の子供たちに託されている。

 夏月とハルキが、あの別れの後、再会することはなかった。
 ハルキがあの後どうなったかは――夏月には知るよしもない。ただ、無事でいてくれたらと、願うばかりだ。
 正直、これから世界がどうなっていくかなんて、想像もつかなかった。ただ分かるのは、歴史はまたくり返したのだということ。
 一九〇〇年代の第二次世界大戦を、終戦後の人々は「人類史上最大の戦争」と称したのだという。おそらくはこの名前のない戦いも、私たちは同じように呼ぶのだろう。
 私たち人間は、もしかしたら由妃の言うとおり、またくり返すのかもしれない。
 同じ争いを。痛みを。悲しみを。――もしこの先、世界が再び動き出すことがあるのなら。
 くり返して欲しくないとは思う。争いによって受けた世界の痛みを、忘れないで欲しいと思う。
 ――けれど、のちの世界のことなんて、今生きている人々にはどうしようもない・・・・・・
 悲しいことだが・・・それならせめて、学んで欲しいと思う。思い出して欲しいと思う。
 歳月をまたいでくり返した戦争に、どれだけの尊い命が失われたか。どれほどに世界が傷付いたか。
 ――――どれだけの悲しみが生まれたか。
 学ぶことで、思い出すことで、人類の歴史に刻み込んでいって欲しい。
 人の切ないほどの強さと弱さ、そして、愛おしさを・・・・・・




by 伽沙



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