自分の部屋に籠って勉強をしていた。自発的に勉強したのは本当に久しぶりだ。英単語の一つ一つが眩しく光っているように感じる。 普通の日ならば俺は勉強なんて恐れ多い行為は絶対にしない。今日は、聖夜だから勉強でもしてみようと思ったのだ。 クリスマス。世界で最も売れている物語「新約聖書」の主人公、イエス=キリストが生まれた日。もう朝青竜とかチャン・ドンゴンとか比べ物にならないくらい有名な人の誕生日。そんな日に、カップルがこれ見よがしに街を歩く。「お前、一人なの? 生きてる価値ないねーじゃん」とでも言わんばかりに。そうさ、俺は一人だ。恋人どころか友達もロクに出来やしない。それがどうした? 俺はこうして聖なる夜をその名に相応しく過ごしているというのに。いっそサンタクロースとか消えればいいのにね。 いけないいけない、少し感情的になりすぎた。勉強に戻ろう。俺は先ほど意味を見てニヤけてしまった「disappointment」の意味を赤ペンで囲もうとした。 ……囲めない。もう一度、力を込めてみる。インクは出ない。さらに力を入れてみる。ノートが破けた。ペンを見ると、本来赤くあるべきのペンの内部が透明になっていた。インク切れだ。 「インク切れ サンタの命も尽き果てた」 とりあえずわけのわからない句を詠んでみる。俺がモテない理由が少しわかった気がした。仕様がない。インクを買いに行こう。俺は財布を引っ掴んで、部屋を出た。財布の中では俺同様野口さんが一人で寂しくクリスマスを過ごしていた。 外は寒かった。この文は外の情景を如実に表わしているようで表わしていない。確かに寒いと言えばそこで終了だ。しかし、今日の寒さはそんなものじゃない。あまりの寒さに玄関の扉を開けた瞬間、脊髄反射で閉めてしまった程だ。そういえは天気予報で「今日の旭川は氷点下20度です」とか言ってた気がする。今は四月一日でもないので真実なのであろう。事実は小説より奇なんだな。 しかも、外は不気味な程静かだ。世界には自分しか居ないように感じる。自分の息使い、雪を踏む音しか聞こえない。雪は真っ白というわけではなかった。街頭を反射した黄、闇に包まれた黒。様々な白が俺の周りを包んでいる。 五分も歩かずにコンビニへとついた。中に入った途端に、人工的な熱気が俺を包む。早足で文房具コーナーへと進む。 ……ない。インクどころか赤ペンもない。青ペンはあるのに、赤ペンはなかった。畜生、何故にだ? これもクリスマスの魔力なのか? 「いらっしゃいますぇー」とも言わないチャラ店員を睨みつけてから俺はコンビニを出た。 相変わらず辺りは静かだ。車の音さえ聞こえない。雪が街灯を反射して、夜と感じなかった。むしろ、夕方より明るい。 しかし、そんな風景に心惹かれる間もなく、俺は一つの物体を見つけた。紅い財布が、コンビニの前に落ちている。俺は何気なく財布のところまで歩いていき、拾った。普通の財布よりも少し大きく、そして立派。四隅には高価そうな金具がついている。恐る恐る中身を除くと、諭吉パラダイスだった。ざっと見ただけで三十枚はある。 脳内会議、始動。おい俺、これはサンタからのプレゼントじゃねぇのか? 聖夜を慎ましく過ごしている俺へのクリスマスプレゼンツだよ。家へ持っていっちまいな。いや、そりゃ駄目だろ俺。この財布をなくして悲しんでる野郎が居るんだぜ。クリスマスなんだから、助けあい精神で行こうや、きっと良いことあるからさ。 会議では悪魔が優勢となっていた。財布を持つ右手は、だんだんポケットへと近づいていく。心臓の音しか聞こえない。寒いにも関わらず、手は汗で大洪水。俺はポケットに財布を、滑りこませようとした。 「お嬢ちゃん」 右上方向間近から声。恐る恐る顔を上げる。そこには、眼鏡をかけた典型的な日本人の男が立っていた。彼はスーツの上に薄いジャンバーを羽織っており、小刻みに震えていた。 「……な、なんですか」 「この辺りで、財布を見なかったかね?」 ほら聞かれた。予想はしてたんだよ。こりゃ引き下がるしかないよね。俺が財布を拾ったというのは見られていたに違いない。ここで知らないふりをしたところでポケットを探られて終わりだ。それにしてもこの貧乏そうなおっさん、どうしてこんな大金を持っているのかねぇ。 「これ、ですか?」 俺は大人しく汗まみれの赤い財布を差し出す。 「おぉ、これこれ。有難う。落としていることに気づいた時はもう今年は終わりかと思ったよ」 おっさんはハハハと笑いながら、私に深く礼をした。 「本当に、有難う。君みたいな良い子たちにとって、明日はきっと良いクリスマスになるだろう」 俺に向って微笑むおっさん。俺は訳もわからず、曖昧な笑いを返した。そしておっさんは去っていく。 後に残ったのは、静けさと、雪を踏む音と、ほんの少しの安堵感。 赤ペンのインクのことなんて、頭の中から消えていた。 次の日、俺はたまげたね。 何故かって? 起きたら枕元に赤ペンのインクが三本ほど綺麗に包装されて置いてあったからよ。 しかもコンビニのシールがついてやがる。俺がいつも行く、あのコンビニのシールだ。 そこで俺は考えた。 昨日のあのおっさんは、どうやらサンタだったんじゃないのか。いや、白い鬚生やして赤い服は着てなかったけども、おそらくサンタだったんじゃないか。サンタさんというより三太さんだな。そんで、プレゼントを買い集めてたんだろうな。ということは、あの財布の中身は軍資金ってわけか。……お前が買ったから無かったのかよ、インクは。 そんで、クリスマスプレゼントに赤ペンのインク、ですって。 流石サンタ様。子供の欲しいものをよく心得ていらっしゃる。俺は自虐的に笑った。 何ならもっと高価なものを欲しいと思えば良かった。辞典とか世界名作全集とかな。 でもさ。 「……サンタさん」 誰にでもなく呟いてみる。 「かなり、嬉しい」 この一日で、俺は何かをしてやろう。 勢いよく起き上がると、俺は部屋の外へと飛び出した。 by 三浦マミ |