僕は、何か好きなモノのために頑張ったことがない。

そこまで好きになれるモノがなかったのもあるが・・・特にこだわりなんてなかったし、強く惹かれたり執着するモノもなく、はっきり言ってしまえば全てがどうでも良かった。自分が少し我慢すれば・・諦めれば、事がうまくいくというならそうしてきた。生きている中で、チャンスなんていくらでもあるし、何もしていなくても時間は進んでいくもので、悩み事も嫌なことも・・嬉しいことさえもいつかは終わってしまうから、足掻いたりなんて必要ないと思ってしなかった。(なんて、流された人生)まぁ・・単にややこしいことに巻き込まれるのが嫌だっただけなんだけど、その分、親やら何やらに怒られることはなかったから損はしていないと想う。友達はこんな僕を見て、生きてる感じがしねぇだの何だの言ってきたが、それもどうでもいい話だ。

「祐!」

藤田祐には、幼なじみが一人いた。なんてことない、人なつっこい妹みたいな子。気づくと幼稚園からずっと一緒で、結局二人して同じ高校に通っていた。彼女の母親曰く、僕は彼女の監視員兼飼育係。(母親が娘を動物園の動物たちみたいな扱いで良いんだろうか。)僕も彼女の明るい雰囲気のおかげでサバサバしすぎる性格が中和されていたみたいで、友達もそこそこいた。

「どうした、花菜?」
「えへへー、彼氏出来ちゃった★」

高校二年目の秋。花菜に彼氏が出来た。
相手は、僕の親友・・雪村圭太。(不本意だったが、彼がしつこかったのでそうしている)兎に角、第一印象変な奴。高校の入学式の日、むっと機嫌悪そうに座ってた僕に絡んできた。もちろん、席は離れていたのにだ。・・なんだか、面白そうだったからという理由らしい。(失礼な奴だ)
けど、なんだかんだ言いながらも、感じの良い奴で花菜が彼に恋したと聞いたとき、どこぞの頑固親父のように止めたりはしなかった。むしろ、協力もした。

「祐のおかげだよ!ありがとーね!」

嬉しそうに笑み、拳を掲げはしゃぐ彼女。よかったね、と適当に微笑んでやる。・・・・実はその時、僕の胸の奥あたりにずんっと鉛玉が落ちてきた心地がした。彼女と親友を繋いだのは他でもない僕なのに、少し後悔していたのだ。(ワケが分からない)

「祐?あれ、祐くーん?」

胸の苦しみをどうすることも出来ず、自分の感情にただ呆然と立ちつくす僕の頭は、今まで感じたことのない喪失感が満ち、渦巻いていた。
それが、高校二年の秋。



・・そして、数年後の春。自動ドアの向こうで感じた、懐かしい風の匂い。


「よ、おかえり」
「・・ただいま、雪村」

空飛ぶ鉄に乗った後特有の静電気が、風に溶けて消えた。トランクひとつで降り立った生まれ故郷の空の入り口で、片手をあげて迎えてくれた昔なじみは、僅かな幼さを残しつつもすっかり社会人の顔つきで微笑んでいる。

「うわ、日本語に違和感・・」
「しょうがないだろ。ほぼ毎日、英語かイタリア語なんだから」
「お前マジで・・外国行ってたんだなー・・!」
「今更、だろ」
「あははっ、そりゃそうだな。」

にかっと笑みを見せ、こっちだと彼が示した方へついて行く。その先には、大手会社の赤のコンパクトカーが慎ましく主人の帰りを待っていた。後部座席にトランクを乗せ、助手席に乗り込んだ。雪村が「よし、」とつぶやくと、ゆっくり車は動き出す。
走り出した車。動き出した懐かしい景色と、春の日差し。知らないソングライターのラブソング。圭太の左手の薬指で小さく光り輝く石。(僕の知らないモノが増えた。)

「お前煙草吸う?」
「吸わねーよ。舌の感覚おかしくなる。」
「だよなー!俺ああいうの無理」
「お前が単に子供味覚なだけだろ」
「そんなことねぇよ!これでも成長したんだぞ!」
「(・・行動がガキ臭いんだよ・・)」

記憶の中で今も生き生きと笑っている高校生の雪村は、身嗜みは完璧、いつもブレザーを緩く、けれど綺麗に着こなしていて(うん、確かそんな感じだった、)、その頃はお洒落には無頓着ボサボサ頭だった僕から見ても、かなり小洒落た奴だったと思う。しかし、高校を出て、大学行って、就職した今・・・少し皺になったスーツと無造作に上げられた前髪。時たま見せる、疲労が溜まっていると言う顔が、やけに目についてしまう。(これで煙草がアレば完璧にくたびれたおっさんだな・・)じっと横顔を見ていると、こっちの視線に彼は気がついた。

「ん?・・あぁ、ごめん。昨日会社泊まりでさ、そのまま来ちまった。」
「あ、あぁ・・いいけど・・・忙しいのか?別に午後休取ってまで無理しなくても、一人で大丈夫だぞ?」
「いーのいーの、久しぶりじゃん。これ逃したらお前、二度と会えなそうだし?」
「まぁ・・、わかってんだ」
「そりゃ、ね。伊達に3年間すごしてねぇよ。あ、藤田の母ちゃん、元気?」
「そこそこ、あの人が金遺してってくれたみたいだから生活するのには困ってないってさ」
「そっか、」

出来たばっかり(無理矢理作ったとも言う)の夢のために生まれ故郷を捨て、初めて父親に殴られ腫れた右頬を押さえながらも、生まれ持っての器用さとひ弱な根性片手に単身未知なる世界に身を投げた。むちゃくちゃだっただろう。それでも・・ただ、何かに夢中になりたかったのかもしれない。自分を追い込んでみたくなったのかもしれない。知人ゼロ。言語能力ゼロ。コミュニケーション能力もゼロ。英語さえもまともに喋れなかった僕には自殺行為にも等しかっただろうけど。(よく生きてこられたものだとつい、感心してしまうほどである)・・・それでも、今こうやって生きているって事は、きっと僕はまだ夢を追いかけて良いんだろうと解釈している。(そうでなきゃ、やってられない)

「あー・・俺ら、何年ぶり?」
「あ?・・・6、7年ぶりぐらいじゃねぇの?」
「ふーん・・えっと・・お前、寝泊まりとかどうしてんだ?ちゃんと飯食ってるか?」
「当たり前だろ?毎日料理つくってんだから。今は、シェフのとこに住み込みで働かせてもらってる。」
「・・・」
「ん?どうした?」
「いや・・元気そうで、何よりだよ」

質問攻めの中一瞬見せた、静かな笑顔に胸の奥が苦しくなった。進学をしないこと、外の国へ行くこと・・彼には、何ひとつ言わなかった。それは、僕のプライドがかかっていたし、彼には言えないわけもあった。・・けれど、心配させてしまったのは事実。先週した、本っ当に久し振りの電話で、雪村は一度キレていた。雪村圭太は滅多に怒らないことで有名なのに。(原因は僕なのだけど、)

「ほら、着いたぞ」

そう告げられて、ゆっくりと視線を上げれば・・そこには以前よりずっと古びてしまった懐かしい僕の家が、ひっそりと建っていた。その時、家の中から一人の女性が飛び出しこの車へと凄い勢いで走ってきた。あまりに突然のことで固まって見ていると、その女性は僕の座っている助手席のドアを壊さんばかりに開いて抱きしめてきたのだった。

「母さん・・、」
「この馬鹿息子・・」
「・・ごめんなさい、それと、ただいま」
「おかえりなさい、」

一人で暮らすには広すぎて不便だと言う母が、ついに引っ越しを決心したのは先月・・父が死んで一年が過ぎた頃だった。親不孝息子が葬式にも出ることなく一周忌を終えたと電話があり、僕が置いていったモノだけでも片付けてくれとのことだった。僕としては、いらないモノばかりだったのだが、母ひとりに3人分の片付けをさせるのは流石に気が引けたため、こうして帰ってきたのだった。

「雪村くんも久し振りね?」
「はい、ご無沙汰してます」
「そんな、堅くしないで良いのよ!いつも祐が世話になってるんだから!」

何年たっても、顔の皺が増えても、相変わらず母は僕と正反対の豪快で元気な母のままだった。・・少々太ったかなとは想うけれど。しかし・・いつまでも呼吸器官が締め付けられていると、さすがに苦しい気も・・する。(そんなこと言えるはずもないんだけど)

「あら髪切ったのね?さっぱりしたじゃない!・・さて、とりあえず入って入って!疲れたでしょう?」

永遠に締め付けられるのかと想えば、彼女はぱっと僕の身体を離し、うふふっと若作り宜しくの笑顔で中へと入っていく。そんな様子に安心からか、呆れからか・・僕たちは二人、顔を見合わせて苦笑した。小旅行にして軽いトランクを降ろし、鼻の奥に残る懐かしい香りが溢れる方へと歩んでいった。

「ほら上着ぬいで、あ、部屋に荷物置いてきてあげる。それと、お湯沸かしてあるから、お茶でも飲んでて?お菓子は好きなように食べて良いから。」
「母さん、お土産あるんだけど・・一応お菓子が」
「本当?ありがとうね、たのしみだわー!」

家に入った途端、追い剥ぎかというスピードであれよあれよという間に上着を脱がされ、荷物を取られ、母はにこにこと鼻歌交じりで(元)僕の部屋がある2階へと足軽やかに上がっていく。隣で、俺にはお土産ないのかと騒いでいるが無視する。(実は、買うのを忘れてしまったのだ)

「思ったより・・元気だなー、藤田の母さん」
「人一倍丈夫な人だからね、お前ん家は?」
「俺の家も元気。むしろ五月蠅いな。」

雪村そっくりな母親は、僕の記憶の中にもはっきりと刻まれている。遊びに行った日には、あれこれとすすめられ、もみくちゃになって帰ってきたことも多々あった。おかげさまで、僕の母とは意気投合しているらしい。・・そうこう話しているうちに、母が居間へと入ってきた。

「祐、部屋そのままにしてあるからね」
「うん、ありがと」
「いえいえ。じゃあ、お茶でもしましょうか・・雪村くんも飲んでく?」
「いや、これ以上俺がお邪魔するわけにもいきませんから。俺はお暇しますんで、あとは親子水いらずで楽しんでください!」
「あら、そう?」

では、お邪魔しました、と一言。雪村は居間を出て行った。僕はただ何もせずぼんやりと眺めているだけ。挨拶ぐらいはすれば良かったかなとは思ったけれど、僕には雪村を引き留める理由なんてないし、幾ら明るいとはいえ、家出息子の久し振りの帰宅に長々と居座ることも出来ないだろう。そんな僕の様子をみて、母は大きく口を開いた。

「・・祐は行かないの?行ってきたらいいじゃない」

良いわけ、ないだろう。どこかの海パン一丁で奇声を発するお笑い芸人が言うアレではないが、そんな、家に帰ってきて早々友達の家に行くなんて、親不孝じゃないか。・・あぁそういえば、僕はもう親不孝息子だったっけ。

「明日から忙しくなるんだし、話せるのは今日ぐらいしかないんじゃない?今なら、雪村君に間に合うわよ。」
「でも・・」
「帰ってきたらお母さんにご飯作ってくれればいいから!ね?」
「母さん・・うん、いってきます」

一度言い出したら、母さん聞かないんだから・・と僕は勝手な理由をつけて僕はハンガーに丁寧にかかっていた上着を取り、玄関を出た。あれ、良いのか?とかなんとか、問うてくる雪村の助手席に乗り込んだ。



「本当に、手がかかる息子よね・・?」


空を見上げて、母さんはそう呟いていたのが耳に届いた。



  +*+*+*+*+*


家を出てから、ずっと口が開けられない。緊張からか、それとも他のなにかからかは分からなかったけれど、ぼんやりと走り続ける風景を眺める僕の思考は宙へ浮き、車内はほとんど圭太の独り言のようになっていた。


僕の頭の中は、高校三年の春。
ちょうど桜が散り始めていた時期。強く吹きぬける暖かい匂いの涼しい風が近所の大きな桜の木を散らしていくのをぼんやり眺めていたら、花菜がお腹すいたとぼやきながら近づいてきた。花菜の向こうには、雪村も見える。僕を見つけて、ひとり走ってきたのだろう。あとからのんびりと歩いてきた彼も彼で、お腹すいたとぼやきはじめた。

「うるさい、」

一言吐き捨てて、歩き出す。それでも、後ろからぴぃぴぃと鳴く仔鳥のようにハラヘッタ、ハラヘッタとしつこく追い回す二人。彼らは付き合いだしても僕と行動を共にしようとしてきていた。うっとうしいわ、くるしいわで二重苦を強いられていた僕だが、彼らの存在が僕の中で大きく占めていたのは事実で。なんだかんだ言っても一緒にいた。僕はいつもつんつんしていて、花菜はにこにこ、雪村はへらへらしていた。

「しつこいんだけど、」

と言っても帰る様子はなく、いいからいいから、と僕の家に入ってくる(どこが良いんだ)いい加減、根気負けした僕はこの雛たちにさっさとえさを与えることにし、母の見様見真似でミートソーススパゲッティをつくった。スパゲティをゆでて、レトルトソースを混ぜるだけの品物だ。2人前しかなかったけど、僕もお腹が減っていたので三等分する。

「おいしー!」

思ったよりうまくできたらしく(ゆでるだけのようなモノだけど)、花菜はいつまでもおいしいと言って食べていく。僕は花菜がパスタとか、イタリア料理が好きなのは知っていたけど・・・純粋に嬉しかった。たとえお腹が空いていたからだとしても、嬉しかった。そして、

「祐さ、コック?とかになったらいいよ!きっと、お店繁盛するもん!」

これが、今の僕が出来たきっかけだった。この言葉は、僕以外誰も、当事者さえも覚えていない。もちろんこれは、花菜の冗談ではあるが・・、ただそれだけのことが、僕の破天荒な行動に繋がったなんて、誰も思っていないだろう。それに僕は後悔していない。・・・今じゃあ、人生全てを賭けて心から料理を極めていこうと思っている。ひとつのことを一生懸命頑張るのって悪くない。(僕は変わったよ。)


そして・・緩やかに、車は小綺麗なマンションの前で止まる。

「ほい、とーちゃく。」

自動ドアをくぐるとすぐのエントランスもやはり綺麗。(床が光ってる)軽い電子音、エレベーターの扉が開く。降りて右へ3つめの扉に、圭太は慣れた手つきで手をかけた。(ネームプレートはもちろん、雪村圭太)つけっぱなしのテレビと掃除機の音、彼女のお気に入りだった柑橘系のアロマがふんわりと漂っていた。

「おかえりー・・・祐?」
「花菜、久しぶり」
「うわー、うわー、うわー!何これ!」
「こら、失礼だろが」

はしゃぎっぱなしの花菜に圭太が溜息をつく。僕はというと、鷲掴みにされた髪の毛のせいで前のめりになったまま、相変わらずな彼女に苦笑していた。若干大人っぽくはなっているみたいだけど・・もともとの子供っぽさは未だ抜けてきっていないようだ。

「だって・・本当・・何年ぶり?髪きっちゃんだ?さっぱりしたねー!」
「修行初日に朝起きたらシェフに切られてて・・・」
「あははは!いーよ!似合う似合う!」

口を大きく開けて、くしゃっと笑う癖は昔から。俺が、・・花菜が、圭太に出逢うずっと前から変わらない。(気持ちの良い笑顔)まぁ、座ってよ!と4人掛けのダイニングテーブルに座らされ、向かい側には花菜、隣には雪村(あ、花菜も雪村か)に陣取られる・・・究極の質問攻め挟み撃ちだ。

「何日ぐらいこっちに居られるの?」
「ぐらい休みもらった。まぁ・・明日から引っ越しの準備して、トラック借り運んだりするからいそがしいんだけどね」
「俺も手伝おうか?」
「お前は仕事行けよ・・しっかり稼いでこい。」
「うぇー・・」

当たり前だろう馬鹿、と毒が口から飛び出しているのに今更気がついた。師匠に治したら?言われて、何年もかけて毒は抜けたと思っていたのに。・・・自己嫌悪から頭を抱え込む僕に花菜がぽつりと・・寂しげに一言漏らした。

「祐はもう・・帰ってこないの?」
「え、いや・・」

下がる眉が悲しそうにする顔をいっそう引き立てる。こういう顔されて、平気でいられる奴の気持ちが分からない。けれど・・・勘違いしちゃあいけないんだ。


「いつかは・・何年かかるかわからないけど、日本で店開くつもり。」


彼女は・・、僕を幼なじみとして大切にしてくれているだけだから。
(せつない・・・)

「そっか、じゃあ楽しみに日本で待ってる。」
「応援も協力もするからさ、・・今度こそは相談しろよ?何もいわれねぇと、それはそれでさびしいんだからな」

拗ねたようにもごもごと口を動かす雪村、・・なんだか申し訳なくて苦笑いをした。何も言わなかったことを、そうとう根に持っているらしい。ごめんと一言、呟くと約束だからなと返ってきた。・・どうやら僕は、一生彼らが幸せになっていくのを見ていなくちゃいけないみたいだ。神様は酷い。

「ところでさーお腹空いた。」
「おなかすいたねー・・あ!祐、ごはん作ってよ!勉強してきたんでしょ?」
「・・まぁ」
「俺も食いたい!食材は好きなモンつかっていいからさ」

そうして再び、20歳も半ばのヒナたちが、瞳を輝かせ、えさを求めて鳴き騒ぎだした。(ハラヘッタ、ハラヘッタとしつこくなる前になんとかしよう・・。)髪を切ったから・・、既に忘れているかと思っていた恋心は相変わらず僕の心の奥に巣くっていたらしい。(まぁ、知っていたけど。)溜息ひとつ、高二の秋に感じた切なさを胸に、冷蔵庫の扉を開けた。



by 鬼嫁一号(仮)



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